「死」への心構え~続編~

ちっちきです!

なかなかバタバタしていて

インスタまで更新しきっておりません_(._.)_

毎日読んで下さってる方、ほんとありがとうございます!

今回の記事では前回の記事の続きより

死に向かうことについて書いていこうと思います。

前回の記事はこちら

「死」への心構え

「余命1か月」の男性が遺した言葉

尿膜管癌と戦ったおばちゃんと過ごした日々が

死へ向かうことを考えるきっかけとなりました。

そこでふとみつけた記事。

末期がんになり、死を受け入れて死へ向かう田端健太郎さんの

かっこいいエピソードが記されています。

「治らない」とされる人は死までの期間をどう過ごせばいいのか?

そもそも生き物みんなが生まれた瞬間から

死に向かって生きているのに

なんでみんないつまでも死なないみたいなつもりでおるの?

余命1か月と宣告された田端さんの言葉

「娘と交わす言葉の一つ一つが最後になるかもしれない。そんな思いがこみ上げた。」

切なすぎるけど、最後になるかもしれないということは

始まりがあったから最後になるかもしれないんです。

それが確かに娘さんと田端さんが共に生きた証です。

切ないんだけど、でも共に生きたことは幸せなことです。

今日がもしかしたら最後かもしれない

だから抱きしめて、愛していると伝えれる人間になりたい^^

もうひとつ印象に残った田端さんの言葉

「これが運命だと思った。うん。そう運命。だから、それを受け入れて、ちゃんと旅立つ準備をして、最期は笑って死にたいな」

目の前の現実を運命だと受け入れることが出来る強い心。

みんなは今まで通り、仕事をして家に帰って寝て

当たり前に朝が来てまた仕事に行く。

自分だってそんな生活が続くはずだったのに。

自分だけいつもの日常が強制終了だなんて。

そんなこと運命だなんて!受け入れろだなんて!!

ちっちきにはまだまだ修行が足りない。

他人の芝が青くてしょうがない。

ちゃんと旅立つ準備をして笑って死にたいって

ほんとにほんとに強い心の持ち主です。

「死」にはあらがえない

田端さんの遺した記事を読んで思うのは

「死」にはあらがえないし、さよならはやっぱり悲しい

ということ。

どんな理由で死んでしまったとしても

「死」にはあらがえないんだと思います。

ちっちきの記憶に残るのはおばちゃんの死だけではなく

自分で死を選んだ三浦春馬やジョンヒョンの死も

活躍する同年代の死として強烈に記憶に残っています。

自分で死を選ぶ人を止めるってことも出来ないんです。

だからやっぱり「死」にはあらがえないし

さよならはやっぱり悲しいんだけど

人生は死にいくプロセスとか死因だけに

スポットライトが当たるわけじゃないってこと。

今まで生きてきた、丁寧に積み上げてきた毎日が

人生のかけがえのないものだから

「死」に向かってはいくんだけど

「死」が来た時に

今までの重ねて来た日々に感謝できたらいいなあと思います。

けどまだまだそんな境地にたどり着けないちっちきなので

日々日々修行ですな!!!


みんないろいろ意見あるみたいだけど

ちっちきは100日後に死ぬワニ大好きです!

ロフトのわにくんの展覧会に行くぐらい好き!ww